「内容」の過剰、「意味」の枯渇
先日、ウルスラ小学校が主催する English Speech Contestが行われました。
上杉英会話教室からは5人が出場し、全員が一次審査を通過。
(普段からの聞き読みと自宅でアウトプット練習が功を奏したのは間違いない)
5人のうち、1人が スペシャルサポーター賞を受賞
英検も大事なテストです。英検を軽視していないです。
英検などに合格したときの喜びとは明らかな本質的に違う感動がありました。
スピーチだからこそ湧き出る感動がありました。
活字だけでは伝わらない 気持ちと熱意ま間違いなく存在します。
自動生成AIによって活字を通して 難なく「正解」を得られるようになりました。
しかし、Chat-GPTが叩き出す答えに感動を覚えたり、士気が鼓舞される人はあんまりいないのではないでしょうか?
Chat-GPTは役に立ちます。欲しい答えはすぐに手に入いります。とても便利です。
正解が「コモディティー化」してきたのではないでしょうか?つまり、だれもが簡単に答えを得られるということです。
その反面、人間味に包まれ、感動を起こし、記憶に残る有益な情報が希少化ともいえるでしょう。
活字を通しての情報収集と発信が秒進分歩するなかで、この傾向は強まる一方でしょう。
日本語でも、英語でも、「しゃべる」ことには大きなメリットがある。
自分にとってのメリット、他者にとってのメリットがある。
しかし、今まで以上にしゃべることへの意識を高めないといけない?
活字情報の洪水の中で、大事な情報が埋もれ、玉石混交どころじゃなくなった,,,,,,
子どもの英語教育に関する情報を見れば、一目瞭然です。
情報を簡単に生成し、発信する人があふれる中、
情報を明快・明晰・明確に言語化でき、
聞き手が楽しく聞ける・行動を起こしたくなるような話しができる人は枯渇しています。
当教室では、「英検でのスピーキング対策」を目標としたスピーキング訓練の薄皮一枚の重ね重ねではないです。
英検のスピーキングにはもちろん役に立つ。(いや、役に立たなければ その訓練はやめた方がいいでしょう。)
むしろ、スピーキングの
「何を言う」
だけではなく、
「なぜ話すことが大事なのか?」
ということも踏まえて、スピーキングに取り組んでいきます。