うん、、、正解率アップした。
先週のテストは、集団受験を許可した。
(つまり、クラスの仲間と話し合って、正解を導き出すのをOKとした。)
目の前の英文の単語や文法構成について真剣に話合う小学生だった。
これまでは、あまり見てこなかった光景だった。
だが、「対話的な学び」ではあったものの、そこでの学びが7日の「個の記憶」(個人でテストを受けた場合)に応用されるかを見てみた。
生徒に事前告知せず、同じ問題2週連続出した。1週目には、話合うことがOKだった。だが、「来週も同じ問題でるからね!」とは言わなかったので、本人達は、その場のために話し合っていただけ。
2週目に同じ問題を出し、個の自力だけで解く形を取った。
そしたら、なんと、正解率が20%以上アップ。
平均が、3.8 →5.2 へと上がった。(7点満点)
以前、別のクラスで個人受験のみで、「来週も同じ範囲でテストする」 と言って、同じ問題を出したことはあるが、点数の上昇は5%程度だった。
いいか悪いかは別ですが。
ただ、レッスン内で、「対話的な学び」を取り入れることのアドバンテージが前よりも見えてきた。
「社会性は身に付くが、受験にやくに立つのかな、、、、?」の疑問に対して、明確なデータをもって「はい!」と言えるのは、少し先の話ですが、そのようなき兆しは見えてきた。
そして、話合っているときの、子供たちの真剣ぶりがすごい。
雑談とか、授業に無関係なポケモンGoではなく、
動詞とか、
主語の位置とか、
「あれ!!!これ、Dolch Sight Words に出てたな!意味なんだっけ?」
「Aroundは~~の周りっていう意味だよ。」
「あ、そっか。そうだ。そしたら、これは、 町の周りを案内するって意味ね。」
などの、実に教養豊かな会話が子ども達だけ繰り広げている。
これが3~4分も続いて、長文の読み上げと質疑応答に進まないといけないので、(講師として心は痛いが)私の方から、切り上げの声掛けをする。
発表のための発表っていうよりは、目の前の課題を何とかクリアするために、話し合わざるを得ない、、、むしろ話に参加しないほうが圧倒的に不利であり、参加しやすいう物理的な仕掛けを設定するのが、講師の役割と責任でもある。
単語、文法、対話、考察、答えの更新、教える、教えらえる、発見、「そっか!」、、、沢山の要素が凝縮されるのが英語のクラスです。
勿論、国語の授業でも同じことが言えるでしょう。
コミュニケーション英語には、しっかりとした「学習要素」を組み込むことが大事、成り行きや本人の気持ちに任せるのは危険であって、先生として責任放棄でもある。
次の授業も楽しみ。
「多分」 集団受験の時間を設ける。
Have a nice day!