なぜ英語教育に「多読」が必要なのか

英語教育の現場では、
こんな考え方をよくある。
- 楽しく続けていれば、いつか伸びる
- たくさん話す練習をすれば、英語力は上がる
実際には、
「こんなに(=だいたいは時間軸で考えている)やってるのに、力がついているのかな???」
という疑問が沸々の忍びよってくる。
多くの場合は、問題は、努力の量じゃない。
力が積み上がる流れが、不在だけのことです。
表に見える成果と、内側に残る力は別物
英語学習では、
- 話せているように見える
- テストで点が取れた
- 発表がうまくいった
といった「分かりやすい成果」に目が向きがちです。
(こういうのは、もちろん必要だし、大事。指導者だって、これを大事にしている。
ただし、指導者だからこそ、さらに深い視点が必要。)
中高の部活とかで、試合では勝ったけど、内容が最悪!って監督に怒られるときってあるでしょ?
そんな感じ。「今日はよかったかもしれないけど、ワンランク上のチームとやったら、ボコボコにされるよ!」って。
- 少し難しい英文になると理解できない
- 知っている単語なのに意味が取れない
- 学年が上がると急に伸びが止まる
といった壁にぶつかります。
これは、英語力そのものが十分に蓄積されていない状態です。

多読は「英語力が自然に残る構造」をつくる
多読の本質は、
「本をたくさん読むこと」。にとどまらない。
多読によって、学習者は
- 語彙を文脈の中で何度も確認し
- 英文の型や流れを無意識に吸収し
- 文をかたまりとして処理する力を育てる
多少出遅れてでも、自然に積み上がる学習の流れを作る必要があります。
多読は、その流れの中心に位置します。
「話せるか」よりも「理解が積み上がっているか」
英語教育で本当に確認すべきなのは、
- どれだけの英文を無理なく読めているか
- どれだけの語彙を「使える形」で理解しているか
- 英文を読むこと自体に抵抗がなくなっているか
といった、目立たない部分です。
英語力は、勢いや一時的な成功では安定しません。
積み上がる設計があって、初めて長く使える力になります。
多読は地味だが、確実に効く
多読は即効性がありません。
派手な成果も出にくい。
しかし、
- 学年が上がっても崩れにくい
- 初見の英文にも対応できる
- 長文読解や英作文に自然につながる
という強さを持っています。
英語学習で大切なのは、
「どれだけやったか」ではなく、
「どれだけ力が残る形で学べているか」です。
その視点に立ったとき、
多読は「あると良いもの」ではなく、
土台として欠かせないものになります。
英語力は、偶然では育ちません。
構造によって、静かに、
確実に育つ。
それが、多読が必要な理由。
