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AIへの外注の子供の知的訓練を奪う

自分で文章を作成しなくても、何とかなる「時代」になった。
どうじに、自分で文章を作成するプロセスを踏み続ける人が圧倒的に有利な時代になった。

AIで文章を作成することは、

①言葉

②自分の文章の論理的な組み立ての吟味

③適切な表現選択

④偶発的に思い浮かぶ別の視点

⑤自分の足りない所の自覚の機会

のすべてが

大幅に減少、又は完全に消滅する。

小中高大で①~⑤を徹底的(またはある程度)やってきた人って、考える作業そのものをAIに任せてきた人よりは絶対に、思考力と洞察力が高いと思う。

結局は、AIに頼らない人が、AIを一番上手に活用するようになる。

思考訓練をAIに外注する人は、そのうちAIに振り回せるだろう。

実社会(アナログの生活)における、課題の最も有効な答えは、曖昧・平均化された答えを出すことを得意とするGPTにあるのではないはず。答えは実際の経験や現場にある。

これまでは、言葉を知らないと、書けない。発信できない。発言できない。
今は、1を入力すれば、10は書ける。

これまでは、1を書くためには、10を知る必要があった。

レポート1つかくにしても、デタラメなものであっても、とりあえずは何とか読んで、何とか複数の論点を抉り出し、結び付けなければならなかった。 これが超!!!苦手であったも、4年間も続ければ、驚くほど、思考力が付く。

大学1年生で10時間かかっていたレポートは2時間で書けるようになる。しかも、同じぐらいの質で。
これは、僕自身の経験。

そのおかげで、今も、必要に応じて、稚拙ながら、文章を書き続けられている。
書くと、思考は動く。
書くと、読者がそれを読んでいる場面が自然に頭に入る。
書くと、自分より上手に書いている人の文章に出会うと、感動し、「その表現いい!!今度使おう!」となる。

つまり、英語に限らず、日本語も
「言葉の脳内通過量、言葉の脳内での吟味時間、(自作)言葉の吐き出し量」は教養を直接左右する。
教養レベルは見える世界を大きくするだけではない。
脱暗記重視型の大学試験の傾向からすると、その場で考え深めて、具体性のある言葉で綺麗にプレゼンして聞き手の心に訴えかける人が有利になるだろう。 キャリアも進学の扉の開き度合いも異なるだろう。

だからと言って、全員が文系に走ればいい、、とは全く思っていない。
文系でも理系でも、課題に対する答えはAIが何かと出してくれる。

問題は、何を課題として考えられるか?(課題発掘力というのかな?)
課題さえ指定できれば、答え(の案)は、AIが出す。
ただ、どの課題の対策案を考えて欲しいのかは、は人間が与える。
人間が問題点の発掘に、その人(達)の教養(ものごとを幅広く見れる視点・点と点を結ぶつける力・これまでの常識に矛盾を見つけらる能力)が必要。

上記の内容は、超長期型課題である。だからこそ、昨日からはじめるべき。
昨日に戻るのは無理だから、次善策としては、今日から始める。

どうやって、育てるか?

例えば、家庭内だったら、

子供が没頭できるテーマを見つけられる環境を整える。
そして、そのテーマについて、対話相手になってあげる。(ここで、大人はGPTを利用してはどう?
こんなプロンプト
「自分の子供が_____が大好きになった。小学4年生です。_____について、子供の思考を促す質問を10個ください。」

図書館に行って、そのテーマに関する本を一緒に探してあげる。(はい、、時間がかかるのはわかります。5年生ぐらいなれば、一人でメディアテークにも行ける。学校の図書館も超!よいリソース。)

今日も最後まで読んでありがと。
定禅寺通りのベローチェにて。

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