89ersの試合観戦で思ったこと:説明力より実行力
4Q通して、だれかが戦わずして、点数が入ってことは、一度もなかった。
バスケの試合をテレビ(現場から遠いところ)で見ると、選手の動きはスムーズ。
ドライブインも直線だったり、レイアップも綺麗な緩い半円を描いて点を入れるように見える。
しかし、現場で見ると、状況は全然違う。
かなり泥臭い。そして、痛い。
ゴールに向かう中、3人のディフェンダーがぶつかってくる。
もちろん、ファウルコールもない。
リバウンドでは、ボールが自分のところに向かってくる幸運に恵まれても、
気づけば目の前に敵の腕が4本現れ、そのボールを横からもぎ取ろうとする。
8本の手がわずか1つのボールを狙う。
つまり、戦わずして、 得られるものはない。
1つ1つ、泥臭く、プレイしていた人達が結局、一番の点取りになった。
①「だれも、シュート打たせてくれないんだよね、、、」
②「腕を叩かれたのに、審判がファウルを取ってくれなかった。この試合は不公平だかれ、プレーはやーーーめた。」
こんな極端な弱音を吐く選手はいなかった。
こんな弱音を吐くなら、そもそもプロとして コートに立っていないでしょうね。
でも、各選手の「泥臭さ」の程度には違いは存在した。
英語もそう。
「この試験難しかったからな、、、、」
「俺、形容詞苦手なんだよね。」
「あれ、、、やって来たのに、なんで忘れたんだろう。」
などと、パフォーマンスが落ちる理由を常に並べたところで、点数は上がらない。
ジョーダンもレブロン、元・仙台高校も明成高校も旧・能代工業のプレーの連続であり、ときどき華麗な結果がある。
しかし、動きの95%は何百回と練習してきた基礎的な動き(泥臭い動き)のつなぎです。
試合に負けた理由を「説明」し、周囲から敗因の理由に共感したところで、勝敗は決まらない。
テストの点数が、振るわない「妥当」な理由を述べたところで、何も変わらない。
周囲への説明力ではなく、準備段階での実行力が大事。
英語にしても、バスケにしても、最終的には、泥臭くやるかやらないかで全て(勝敗)が決まる。
試合は予想通りには絶対!行かない。 常に調整が必要。泥臭くやる覚悟と泥臭さを「当たり前」と思うこと!
授業や年間計画も絶対予想通りに行かない。常に調整が必要。 泥臭くやる覚悟と泥臭さを「当たり前」と思うこと!
家での学習計画や宿題の取り組みも絶対予想通りに行かない。常に調整が必要。 泥臭くやる覚悟と泥臭さを「当たり前」と思うこと!
バスケと英語教室、それぞれでの「勝利」の定義は異なるが、そこにたどり着くまでには、楽しさがいっぱいあり、泥臭さもいっぱいあることは間違いない。
「上杉英会話教室」を聞いて、「地道に努力を積み重ねる生徒と先生がいる教室。」として知られるようになりたい。